大義寺

大義寺

所在地 白石市斎川字町西浦

斎川町屋敷の西手にある刈田三十三霊場第七番札所、臨済宗慈雲山大義寺の本尊は、高さ一尺五寸五分(約四七㎝)の一木造りの聖観世音像で、奈良時代の高僧・行基の作といわれている。古老の話では源頼義公護持の守本尊ともいわれ、かつて胎内に納められていたと伝えられているが、現存していないとのこと。

『安永風土記御用書出』には、源頼義・義家父子が安倍貞任・宗任兄弟追討の際に、[大義寺]自分の守本尊のこの像を康平五年(平安時代中期・一○六二)、斎川の某所に建てた御堂に安置したが、 その御堂の焼失後は当寺の仏殿に移置したと記してある。

その頃、 当寺の寺名は「大源山頼義寺」であったというが、後に 飯坂の医王寺の末寺として義経の追善供養のため再建され、「義経山大義寺」と称したという。

大義寺 再建

その後久しく中絶していたが、慶長十八年(江戸時代前期・一六一三)、片倉景綱の時代、傑山寺二世松殿宗徹が再建し、寺名を現在のように改めたという。

いざくまむ めぐみもふかき さいかはの みのりのみづの きよきながれを

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